facebookとGoogle。「+」時代の連絡手段

Google+のリリースから時間も経ち、
使い方を試行錯誤されている頃だと思います。
中には、もう飽きてしまった人もいるかも…。


サークルの分け方にも個性が出ますし、
知らない人からサークルに追加された通知が来た時の「おまえ誰やねん」感
なかなかに新しい感覚で面白いですね。



この先もGoogle周りのサービスが広がって、
Google+の画面からそのままGmailでメールのやりとりが行われるのが普通になるのかなー


とか思っていたんですが、
それってfacebookのメッセージ機能に近づいてるってことで。
GoogleFacebookが目指すコミュニケーションのカタチが同一方向かもしれない、というのはとても興味深いです。




そんなプラスな時代。


様々な場面の連絡手段はまた、次の段階へ進むのだと思います。


実際に、facebookのメッセージ機能で会社の先輩や他社の方と連絡を取ってみると、
これがまた便利便利。


署名や宛名、「お世話になっております」等々、
ビジネス文書に必須な、マナー的な装飾をする必要がない。


とてもスムーズなコミュニケーションが可能で、レスポンスもメールより早い気がします。



「そんなの無礼じゃないのか」「ビジネスマナーが云々」と思う方もいるかもしれません。


しかし、このビジネス文書のマナーって、
メールという連絡手段がビジネス用に確立された後に生まれたもののはずですよね。
コミュニケーションサービスが先にあり、その後そのサービスに合った形のマナーが形作られます。
メールもまた、手紙と違ったマナーを形成してきました。


だからfacebookというサービス上で行われるやりとりは、
facebook上で無礼にならない」形でのマナーが形成され、求められます。
(だから何したって良い、という意味ではありません。一般のコミュニケーションマナーは不可欠です。)



そんなマナーの移り変わりを、
メールが登場した頃に経験したことがあります。


当時、中学生だった僕はある部活に所属していました。
その頃の部活の連絡手段は固定電話の連絡網でした。
一人一人が、伝言ゲームのように連絡していく、あれです。最近見なくなりましたね。


僕らの学年が幹事のイベントで、
OBの先輩に出欠を取る機会がありました。


当時、やっと全員がケータイを持ち始めた頃でした。
僕はその出欠を、連絡網を使わずメールを全員に送ってとりました。


そしたら、当時の部長に怒られたんですね。
「大事な出欠をメールなんかで取るんじゃない」と。
僕としては、スケジュール調整の性質上、音声より文字に残った方が便利と思っての判断でした。


ただ、先輩方からは好評で。
「出欠はメールの方が便利だね」とおっしゃってくださいました。
(こんな感想が出てくること自体、いま思えば時代を感じます)


ビジネスマナーとはまた、次元の違う話かもしれません。
でも今や、出欠を取るのはメールで当たり前。
調整さん等、返信すら必要としないサービスでも行なわれる時代になりました。
もちろん、この使い分けは場面によっても為されますが。



こんな経験もあって。
今のfacebookによる、現代のマナーに則っていないコミュニケーションも、
いつか普通のマナーになり、
そしてまたコミュニケーションのカタチが変わって。




そんなサイクルを繰り返していくと。


マナーがコミュニケーションの上で成り立っている以上、
相対的なものですから、当然と言えば当然ですよね。


やわらかく対応していかなくっちゃ。



 

やっぱりソーシャルメディアはビジネスに向かないのかも(個人的意見です)

Creative Kitchen というイベントに行ってきました。
編集、映像、広告、クリエイティブ、テクノロジーというキーワードの超大御所の方々のお話。
濃過ぎて誰も咀嚼しきれてないんじゃないか、というレベルでした。


その中で、いろいろ気になるキーワード、コトバがあって、
そこからいろんな考えが生まれたりしたので、それを書き留めようと思います。




SNSを使う≠ソーシャル」



例えば、SOURの「映し鏡」のミュージックビデオは、
Twitterfacebookというソーシャルメディアをがっつり利用していますが、
ユーザーに与えているのは非常にパーソナルな体験で、ソーシャルではない、と。
いかに深い体験を提供できるかが問題であり、
「どうやって広げるか」は問題ではない。
深く心が動けば、勝手に広がるから。




まさにその通りだと思います。
facebookでバズが起きる」なんてことありえないし、
Twitterを使って拡散する」だけの企画はやっぱりナンセンスです。


例えばTwitter
Twitterの最大の特徴でありTwitterだけが持つ特徴、
それは「即時性」です。
(以前書いたTwitterの即時性に関する記事はコチラ
Twitter微分論から見る、面接で問われる「私」の持つコンテンツ - ぬのむ日記


その短さ故、ユーザーは自分の感情に対し脊髄反射的にtweetします。
ブログ等と違って「振り返って考える」というプロセスが省かれるため、
時に炎上を引き起こす程に、
「生活者の生の声」がタイムラインに流されているわけで。


この無加工の生の声は、マーケティングに於いてあまりに貴重な情報源なはずですよね。


そこにビジネスが過剰に入ってきたら――
広告tweetや、Webプロモーションサイト連携tweetが溢れたら、
単純に考えて、良い印象は与えずユーザーを遠ざけることにもなるんじゃないかと。


だって、
バーで本音で話してる時に、いろんな人にいきなり営業かけられたら…嫌ですよね?



Twitterであれば、タイムラインの流れが早いためにそこまでウザがられてない段階ですが、
これがFacebookの場合は既にネガティブな印象を与えています。


最近のFacebook連携サイトでは
「3枚の画像を投稿させてフィードの横幅いっぱいに画像表示」
させるものが増えていますが…
この画像にフィードが埋められることに嫌悪感を示している人が、既に周りに居ます。
おそらくこれも「Facebookで拡散させて〜」という狙いなのでしょうが。。



こういった投稿が疎まれるのは、
やっぱりその投稿が生の声ではないから。


「面白いから広めたい」という思いからの投稿でなく、
「やってみたら投稿されるシステム」だったからなんですね。




僕が言いたいのは、決して「SNSの投稿ボタンをつけるな」といった類のものではなくて。
システムによって拡散させるのではなく、「広めたい」「もっと知って欲しい」と思わせ行動させるほどに
深い体験、圧倒的な面白さを提供することを目指さないと。
ということと、
連携させるなら「如何にウザがられないか」を徹底的に考えないと。
という主張になります。


森の木琴、九州新幹線のCMにTwitterで拡散する仕組みなんてなかった。
心を動かされた人が、「勝手に」YouTubetweetボタンを押して感想をつぶやいた。


そういうことですよね。


オンラインで完結するアプリが流行るわけがない。

これまた、applimから考えた話。


決勝のプレゼンを聞きながら、僕はこんなツイートをしました。
「非日常と日常の扉になるアプリが必要なのかな。 #applim」


簡単に言えば、
「オンラインで完結せずオフラインへ影響するようデザインされた企画(アプリ)が必要」ってことです。
目的はオフラインに置く。


というより、「オンラインで完結するようデザインされたアプリ」
例えば「アプリで遊んで結果がTwitterに投稿されるから拡散して〜」などというアプリなんてものは、
人の心に影響したり、
流行ったりなんてするわけがないと思うんです。




なぜなら、オンラインで完結するコミュニケーションなんてないから。
オンラインで完結する企画なんてないから。


人は、どんなものでも最終的にはオフラインでモノや情報に触れます。


どんなアプリもサイトも、
ディスプレイというデバイスを介し、
オフラインな光によって人にコミュニケーションします。
音もスピーカー・イヤフォンを介して空気の振動によって伝えているため同じ。


オンラインだけなんて、攻殻機動隊マトリックスの電脳化された世界にならないと無理な話で。
それはそれで興味は大有りではありますが。



そのため、
アプリを企画する際には
「そのアプリがオフラインな環境とどう影響し合うか」を考えておく必要があると思うのです。


そのアプリが使われる時、
スマホはどんな環境で使われているのか。


まさか、好きな人の前なのに、通勤電車内と同じようにスマホでRSSをチェックする人はいないでしょう。
使用される環境によって接し方は必ず変わります。


そのアプリはスマホを縦にして使われるのか横なのか。
起動中にメールが来たら、すぐ切り替えるのか後で読むのか。
どの時間、どのタイミングで使われるのか。


どのような環境の中で使われ、
どのような環境を生み出すのか。



そこまで考え、デザインされたアプリであって初めて、
多くの人に受け入れられ“流行る”と思います。

applimに対して思うこと

昨日、applim+という学生による学生のためのマーケティングアプリの企画コンテストがありました。
決勝の会場はなんと東京ビッグサイト
協賛企業も電博の広告会社を始め、mixiやらMicrosoftやらと豪華。


僕はこのコンテストには、
去年に学生出場者として参加し、
今回は社会人メンターとして関わらせてもらいました。


本エントリーではそんなapplimへの想いを書いてみます。



最初の出会いは、去年の夏前。


第一回の決勝プレゼンの模様をたまたまUstreamで見かけたのが始まりです。


その当時はTwitterにどっぷりな時期だったので、
単純に「やってることおもろいなー」という気持ちと、
「自分がやったらどーなるんだろなー」という気持ちを抱きました。


この時はそう思っただけで終わりでした。



それから一月後くらいに、
当時のapplim代表と飲む機会があり、
そこでなんでapplim作ったか、という話を聞いたんですね。


そこで言っていたのが、
「普通の学生が表に出てこれる場を作りたい」ということでした。


僕はこの話にとても共感しまして。


というのも、
就活を通じて、就活でモテ囃される人達っていうのは、


何カ国も留学してたり、
ドデカいイベントを仕切ったり、
学生のうちから企業したり…


学生の域を越えた「スゴい」人達ばかりと感じたんですね。
そういう人達が、○○で働きたいという夢を叶えていく。


じゃあ、
いわゆる普通の大学生活を送ってきた人は優秀じゃないのか。仕事ができないのか。
夢を叶える権利が無いのか。


それは絶対に違うと思うんです。


たまたま表に出るような結果がないだけ、って人は沢山いるはずです。

サークル漬けの生活を送っていた人だって、「スゴい」人達が体験できなかった体験をしていて、学べなかったことを、学んでいます。
たまたま機会が無いだけなんです。



そんなことを思っていたから、
元代表の言葉が刺さったんだな、と。



そして僕も出場を決意しました。




もしも
僕がapplimに出場していなかったら。
元代表に出会っていなかったら。


今いる会社にも居なかったでしょうし。
全然違う人生を歩んでたと思います。



人生を変えられたんです。


applimに。





そして今回もきっと。



参加した学生の人生を変えるのでしょう。



人の人生を変えてしまうなんで、
簡単には出来ないです。



それをやってのけてしまうapplimが、


僕は好きですし、


同時にとても羨ましく思います。





次回もまた、メンターとして参加したいな。


以上が、


僕のapplimに対する想いのコアな部分です。

かわいいアプリ。

最近のスマートフォンユーザーの移り変わりとして、


一台持ち
Android


の増加と共に、


女性ユーザーが増えているようです。



スマホギーク用ガジェットではなく、
高機能ガラケーとして生活に入ってきているわけですね。
テンキー搭載のスマホも登場してますし。



ということはそろそろ、
ガラケーで起こっていたかわいさカスタマイズ
スマホでも発生するのではないかと思います。



まず、デバイス自体へのデコりは
スマホケースへのデコりに継承されていますね。


綺麗にラインストーンを貼ったケースの人もよく見かけますし、
デコり済みのケースも雑貨屋に並んでいます。



そこで、次はやはりスマホの中身、ソフト面のビジュアルカスタマイズが求められるはずだと思うんです。
ガラケーで言う、きせかえツールのようなもの。



現状では、ホーム画面の壁紙は変更できるものの、
アイコンそれぞれのデザインは当然個々のアプリに依存してしまっています。


しかもそのアイコンはと言うと…
お世辞にもかわいい、センスあると呼べるものはごく僅か。
アプリとしての利便性も兼ね備えたものは皆無と言ってもいいくらいです。


iTunesストアに並んでいるものを眺めていても、
ロゴかキャラクターを表示しているものばかり。
下手するとテキストのみ、というのもあります。



これからスマホのビジュアルに凝る流れが進んだ時、
既存のアプリはダウンロードされなくなってしまうのではないでしょうか。


唯一、こういった意味で「成功」しているアプリがあります。


それが、「ドラえもんアプリ」という16個の無料アプリ。
内訳は、『ドラ電卓』『ドラ電池計』『ドラ時計』『ドラタイマー』『ドラじゃんけん』の実用的アプリが5本と、
マンガ『ドラえもん』の電子書籍11話分。


ここまでなら普通のアプリだし、例えば電卓アプリなんていくらでもあります。Rio電卓とか。
でも、この16個のアプリの凄い所はこれ。



16個のアプリを順番どおりに並べれば、
iPhoneのアプリ選択画面がドラえもんの顔になります。
これは並べたくなりますよね。


中には、並び方を変えてネタに走る人も…





ドラえもんの例はキャンペーンの一過性のものでしたが、
今後こういった「ホーム画面もデザインするアプリ」は強くなると思います。


アイコン単体でも、かわいいものに。


ホーム画面を意識したアプリには、
もうひとつ、大きな強みがあります。



かわいいアイコン、かわいいホーム画面にした場合、
ユーザーはおそらく1ページにそのアプリ・画面を持ってくるでしょう。


iPhoneを長らく使っている方にはわかると思いますが、
アプリったらどんどん溜まっていくんです。


そうして何ページにも渡ってアプリが散乱した場合、
1ページ目と最後のページのアプリの使用頻度は雲泥の差です。
頻繁に使いたい時は、前の方のページに持ってくるはず。


そんなアプリ一覧のプレミアムな枠を、
アイコンデザインによって占有できれば…。
これは大きな強みですよね。



今でこそそんなかわいいアプリは数少ないですが、
一気に増える可能性は高いですね。


おもちゃって。

先日、東京おもちゃショー2011に行ってきました。




趣味半分、友人のお仕事付き添い半分。
いや、趣味8割超えてたかな。


日曜だったので、会場は子供祭り状態。子供に酔う。
シンプルに楽しかったです。


お客さんの顔が見れるイベントっていいね。
笑顔を超えるコミュニケーション手段なんてないもの。



存分に楽しんだ後は、お早いビアタイムへ。


そしておもちゃ談義に花を咲かせました。
おもちゃとは私たちにとってなんだろうか。




共通見解としては、
「おもちゃは人格形成の最重要ファクターである」ということでした。


つまり、
もちろん学校や家庭の影響は大きいけれど、
今の自分があるのはおもちゃの影響も大きいよね、ということです。





例えば、同期の友人の場合。
彼はハイパーヨーヨーが好きだったとのこと。
その理由は、ミニ四駆等と違って
かけた金額=強さ
にならず、自分の練習で金額の差(ここではヨーヨーの種類の差)を越えることが出来る。


そんな彼は今はコピーライター。




以下は僕の話。



好きだったおもちゃは、ビーダマンとミニ四駆
(とりあえずガンダム系は今回は除きます)



このおもちゃで育まれたものは、
・想像力
・試行錯誤すること
だと思います。


ともに、
さまざまなパーツがあって、
それを組み合わせて高みを目指す。



しかし、ただパーツを付ければいいというものではなく、
「これを付けるとどうなるか」
「望む性能を出すためにはどのパーツを組み合わせればいいか」
など、


特に子供の頃は、お小遣いが限られているので、
なかなか
「試してみる」
ということができません。



頭の中で、想像するしかない。
誰よりも早いマシンにするにはどうすればいいか、を。
実際に試すことなく、頭の中でぐるぐるシミュレーションし続けます。





想像力が育まれないはずがない。


試行錯誤を頭の中で繰り返すわけですから。
(このシミュレーションが正しいか否かは、想像力という面から見れば問題になりません)



このように、
おもちゃによって育まれるもののためにも、
おもちゃの機構はブラックボックスであってはならないと思います。


複雑な力学はわからないまでも、
感覚的に構造を捉えて想像するためには、
ギミックは可視である必要があるはずです。




例えばベイブレード
重いパーツを付ければ、挙動は遅くなるが弾かれにくくなる。
大きなパーツを付ければ、回転が遅くなる。


言わば、物理の運動方程式や遠心力の話です。
この高校で習う力学を、幼少の頃から感覚的に把握できるという素晴らしさがおわかりでしょうか。




思えば、
僕が理系であることも、
物事の仕組み・システムに興味があるのも(そういえばシステム創成学なるものを専攻していました)、
おもちゃが最大のファクターであったことは否めません。



おもちゃのおかげで今の僕がいます。






…そんな話を、時間を忘れてしていました。





ちなみに私は「玩具」という表現はキラいです。
全て「おもちゃ」と言いたい。


だって、子どもは「玩具」だなんて呼ばないから。


 

スマートフォンが生む新しい格差

普及してきましたね、スマートフォン


パソコン的な特殊性はタブレット端末が担うことになり、
携帯電話の総スマートフォン化も時間の問題でしょう。
もしくはスマートフォンガラケーの間がバリアフリーになるという可能性もありますが。


しかし、スマートフォンが普及すればするほど、「スマートフォンを持つ人」というターゲティングもできなくなります。
スマートフォンをただのケータイとして使う人」が増えてくるからです。


これは格差といってもいいのではないかと。



現在であれば、
スマートフォンを持つ人は…


最新技術に興味があり、
ネット回遊をストレスフリーに行い、
通勤時間にRSSでニュースをチェックし、
Twitterで自己発信をしていて、、、


…という特徴がある、とセグメント化できるでしょう。


それ故、その層を狙ったアプリやサービスが世に出ているわけで。
今後、このようなサービスはまだまだ増えると思いますが、


どこかで、
あるいは今から徐々に、
オールターゲットなものに移行していく必要がありますよね、というお話。