おもちゃって。

先日、東京おもちゃショー2011に行ってきました。




趣味半分、友人のお仕事付き添い半分。
いや、趣味8割超えてたかな。


日曜だったので、会場は子供祭り状態。子供に酔う。
シンプルに楽しかったです。


お客さんの顔が見れるイベントっていいね。
笑顔を超えるコミュニケーション手段なんてないもの。



存分に楽しんだ後は、お早いビアタイムへ。


そしておもちゃ談義に花を咲かせました。
おもちゃとは私たちにとってなんだろうか。




共通見解としては、
「おもちゃは人格形成の最重要ファクターである」ということでした。


つまり、
もちろん学校や家庭の影響は大きいけれど、
今の自分があるのはおもちゃの影響も大きいよね、ということです。





例えば、同期の友人の場合。
彼はハイパーヨーヨーが好きだったとのこと。
その理由は、ミニ四駆等と違って
かけた金額=強さ
にならず、自分の練習で金額の差(ここではヨーヨーの種類の差)を越えることが出来る。


そんな彼は今はコピーライター。




以下は僕の話。



好きだったおもちゃは、ビーダマンとミニ四駆
(とりあえずガンダム系は今回は除きます)



このおもちゃで育まれたものは、
・想像力
・試行錯誤すること
だと思います。


ともに、
さまざまなパーツがあって、
それを組み合わせて高みを目指す。



しかし、ただパーツを付ければいいというものではなく、
「これを付けるとどうなるか」
「望む性能を出すためにはどのパーツを組み合わせればいいか」
など、


特に子供の頃は、お小遣いが限られているので、
なかなか
「試してみる」
ということができません。



頭の中で、想像するしかない。
誰よりも早いマシンにするにはどうすればいいか、を。
実際に試すことなく、頭の中でぐるぐるシミュレーションし続けます。





想像力が育まれないはずがない。


試行錯誤を頭の中で繰り返すわけですから。
(このシミュレーションが正しいか否かは、想像力という面から見れば問題になりません)



このように、
おもちゃによって育まれるもののためにも、
おもちゃの機構はブラックボックスであってはならないと思います。


複雑な力学はわからないまでも、
感覚的に構造を捉えて想像するためには、
ギミックは可視である必要があるはずです。




例えばベイブレード
重いパーツを付ければ、挙動は遅くなるが弾かれにくくなる。
大きなパーツを付ければ、回転が遅くなる。


言わば、物理の運動方程式や遠心力の話です。
この高校で習う力学を、幼少の頃から感覚的に把握できるという素晴らしさがおわかりでしょうか。




思えば、
僕が理系であることも、
物事の仕組み・システムに興味があるのも(そういえばシステム創成学なるものを専攻していました)、
おもちゃが最大のファクターであったことは否めません。



おもちゃのおかげで今の僕がいます。






…そんな話を、時間を忘れてしていました。





ちなみに私は「玩具」という表現はキラいです。
全て「おもちゃ」と言いたい。


だって、子どもは「玩具」だなんて呼ばないから。