Twitterで人は繋がってなどいない
いま読んでいる本の中に、気になる表現がありました。
(なお、この部分は本の核心ではありません。本自体はとても勉強になるものです。)
「Twitterはユーザー同士がつながり合う」という表現です。
この表現に感じた違和感を、記しておこうと思います。
簡単に言えば、僕は「Twitterでユーザー同士がつながり合っている」とは思いません。
この表現の、考えの根底には、「知り合いとはフォローし合っているものだ」という前提が存在していると考えます。
実際全体から見れば、そういうTwitterユーザーは多いでしょう。
しかし、mixi創世記からSNSに触れ、mixi疲れ等を経験・目の当たりにしてきた若い世代にとっては、
このような前提は正しくない。
というか、知り合いとフォローし合っているという前提はTwitterをツマラなくさせると感じており、こんな使い方をしていません。
人によってツイートは様々。
仕事に関するマジメなツイートが多い人、
ネタツイートを心掛ける人、
身の回りにあったことを高頻度で垂れ流す人、
友人との連絡のみで、全てリプライツイートな人。
その自由さは、Twitterユーザー拡大の要因の一つでしょう。
そのため、特にフォロー数の少ない人の場合、ある特定人物によってタイムラインが占拠される事態が発生します。
mixi全盛期にも、新着日記の欄が特定人物で埋まって困るという事態は誰しもが経験しました。
しかしmixiでは、マイミクから外すと相手との関係が悪くなるため、「日記を非表示にする」という対抗手段が提供されるようになりました。
マイミク関係が、まさに人とのつながりを示すものであるからです。
だからこそ、人間関係の煩わしさが生まれ、「mixi疲れ」が発生したのです。
そんなmixiユーザーがTwitterにもその煩わしさを持ち込むはずがない。
というより、システム上持ち込まずに済みました。
なぜなら、Twitterのフォローという行為が一方通行だったから。
Twitterのフォローは「つながり」を示すものではなく、「その人のツイートを講読する」という意味しか持ちません。
だから、例え知り合いであったとしてもフォローしていないことは“普通”なんです。
メンションを飛ばし合っていて認識していても、フォローしていないこともあります。
特にmixiをどっぷり使ってた若い世代にとって。
人間関係の煩わしさを感じないこと、それがTwitterの大きな利点です。
だから、人はTwitterでつながってなどいない、と僕は思います。
講読による情報の流れはあっても、つながりでは決してない、と。
だから「Twitterで友人に情報が拡散して〜」なんていうプランは、
新しいコミュニケーションの形をちゃんと掴めてないんじゃないかな〜と思います。
自戒も込めて、です。注意しないと。