Web2.0はサトラレを生んだか?
「サトラレ」という作品をご存知でしょうか。
原作はコミックで、映画やドラマにもなりました。
「サトラレ」とは、あらゆる思考が思念波となって周囲に伝播してしまう病気。
この病気を持った人々の物語が各作品では語られています。
この作品を見た人は、一度は必ず思うはず。
「自分がサトラレだったらどうしよう」
もしそんなことが判明したら精神的におかしくなってしまうでしょう。
作品中では、自身がサトラレだと気づかないようにサトラレ対策委員なる組織が奔走して守ってくれます。
もしも実際に自分の考えていることが周囲の人に筒抜けだったらどうしよう、
あんな空想やこんな妄想がタレ流しになってたらどうしようと不安になって、
“聞こえてるんだろうわかってるんだぜ”
といくら考えてもサトラレなんて人はいないからご安心を。
もしいたら我慢できずに僕がリアクション取ってしまっているはずです。
ただ。
もしも。
もしもサトラレが身近にいたらどう思いますか?
◇サトラレは魅力的
その人と関わりたいと思いますか?
友達になろうとは思いませんか?
たしかに、考えていることが全てわかってしまうのは怖いことです。
会った瞬間に「その服ダサッ!」と思念を飛ばされたらショックで1日立ち直れません。
でも、「100%正直な友人」が欲しくはありませんか?
実際に、思ったことを何でも言ってしまう人はいます。
「私、思ったこと何でも口に出しちゃうんだよね〜」などと自己紹介してくる人もいます。
こういう方は大抵の場合疎まれるのですが、彼ら(彼女ら)はサトラレとは大きく異なると思うんです。
思ったことを言ってしまう人は、相手へのネガティブな発言が主だったりするんです。
だから疎まれてしまう。
一方、サトラレはネガティブだろうが何だろうが、思ったことは全てダダ漏れです。
言わば人間の中味を映す鏡のような存在。
自分が人からどう思われているのか。誰だって気になります。
外見だけしか映さない普通の鏡でさえ、1日見ることが出来なかったら不安で仕方がないでしょう。
だからきっと、サトラレがいたら近づきたいと思うはず。
むしろ、普通の人以上に魅力的かもしれません。
心理学の本で読んだのですが、人は感情をオープンにしてくる人に対して好感を持つのだそうです。
「自己開示」と言って、自分の内面を知ってもらうことで2人の間に親近感が湧くのだとか。
自分の様々な側面を知ってもらうことは、人間関係に於いてはプラスに働くようですね。
さてここからが本題。
「サトラレって魅力的だよね」では結局空想の域を出ません。
それと似た現象が、実はウェブ上で起こっているのです。
Web2.0という言葉をご存知でしょうか。
5年ほど前から語られ、今では当たり前と為り過ぎて死語となってしまいました。
簡単に言えば、「ウェブ上で誰もが情報の受け手であり送り手になる」という状態、構想です。
今あるウェブサービスはそのほとんどがユーザーが情報を発信するものになっています。
Web2.0という言葉は廃れてしまいましたが。
掲示板やブログに始まり、全てのSNSやTwitterもそうですね。
私達はブログ、SNS、Twitterで自分の日々の行動や想いを綴るようになりました。
「日記は人に見せるもの」という概念はそれまでありえなかったですよね。
自分をウェブ上で開示していく。
それがWeb2.0が生みだしたスタイル。
これって、サトラレに似てませんか?
そこで周囲に晒される情報は自分で制御できるため、サトラレほどダダ漏れではありません。
危険思想や妄想、公序良俗に反することは人に知らされずに済みます。
(mixiでの犯罪自慢とかはありましたけど…)
とは言え、個々の利用スタイルにもよるのですが、
Web上で真面目な投稿、アホな投稿、下ネタな投稿など、その人の様々な面が公開されます。
特にTwitterはその時々の感情がダイレクトに反映される分、より多くの側面が公開されていると思います。
つまり、新しいウェブサービスの登場によって、
みんな「自己開示」を行っているわけです。
それも全世界に。
TwitterなどSNSが何故おもしろいか、という話題は最近よくあがっているようですが、
僕が思う理由は、ユーザーが皆このような
「オンライン・サトラレ」になることによって、
相手に近づきたいな、という欲求が生まれたり、
互いに親近感の強い関係が築け、やりとりが出来たりすることにあると思うのです。
これが、僕が今回のエントリーで言いたかったこと。
きっとここで大事なのは、
「周囲に発信しているのが、その時の感情であること」
なんですね。
だからFace Bookのような「発信しているのが自分のステータス」であるサービスは、
僕はまだ、ちょっと魅力的でないように感じてしまいます。