ソーシャルで繋がる「おうちでパブリックビューイング」


7月11日に、4年に一度のフットボールの祭典ワールドカップが幕を閉じた。


約1カ月にわたる期間中、
ピッチ上では様々なドラマが繰り広げられ、
お茶の間には寝不足で使いものにならない人が増えたことでしょう(僕含め)


南アフリカ現地の治安の悪さもあって、昔からのフットボールファンであっても日本の地から応援する人が多かったように思える。


家のテレビで観戦する以外に、最近定着してきたのがPV(パブリックビューイング)。
*1
今大会では各地の競技場やスポーツバーだけでなく、クラブやライブハウスでのPVも多かったように感じました。


私も日本vsデンマーク戦、日本vsパラグアイ戦はPVで観戦したのですが、
一丸となって応援し盛り上がったり…
本田のフリーキックで周りの人と抱き合ったり…
PK戦で選手と一緒になって祈りを捧げたり…
1人でテレビを見ているだけでは得られない“共感覚”の中にどっぷり浸かっていました。


しかし、この共感覚
今大会で観戦するうちに感じたのですが、「1人でテレビを見ていても得られる」のじゃないかなーと。


Twitterならね。


Twitter自体、今回のワールドカップでは国名のハッシュタグを付けると国旗画像が表示される等の連携サービスを提供していたけど、
このリアルタイムなコミュニケーションを可能にする「つぶやき」はスポーツイベントとの親和性が非常に高い。
Twitterに限らずmixiボイスや2chの実況スレも同じことが言えるかも)


Twitterの面白さは蓄積されたコンテンツの“読み物”的面白さではなく、フォローしてる人の様々が混在して流れるタイムラインと自分との同調によるもの。
この同調が、ワールドカップという生放送の大イベントに於いて世界規模のグルーブの中で強められた。


そう考えると、Twitterが提唱したこのリアルタイムで非検索主義的なコミュニケーションは、
ラジオやテレビといった「放送」の救世主…とはいかないまでも、道標の一つくらいにはなると思います。



ネットによってストックされた情報を各自が自由な時間に取得するのが当たり前になり、
テレビ番組も放送をHDDにストックし、タイムシフトして鑑賞するのが当たり前になった。


けれど、同時に「皆で盛り上がる」楽しみを失ってしまった。
昼休みに友達と、昨日の番組の面白さについて語ることもなくなった。
アメトーークを見た直後に、エガちゃんのモノマネを真似して笑いあうことも難しくなった。
(むしろこれらの行為は「ネタバレ」として疎まれることに!)


でも本当は、この同調して盛り上がる楽しみ方を皆求めているんじゃないかな?
そうでもないと、
タイムラインを見ながらワールドカップを観戦して、
イングランドvsドイツ戦で誤審があった時には #haitteta なんてハッシュタグを作って、
日本がデンマークに勝利した瞬間に秒間ツイート数の記録を更新したりしないじゃない。


このタイムライン上の盛り上がりを見てチャンネルを合わせた人も大勢いたようで。
これはワールドカップに限らない。
盛り上がってるものは誰だってちょっと見てみたい。(祭好きな日本人は特に!)
みんな一緒になってグルーブを感じたいんだ。


そういった「盛り上がり」の広がりは、今のテレビ番組に多く見られる
「この後衝撃の結末が!」「驚きのゲストが!」
って煽ってCMに入ってる番組にはまったく期待できない。


だってそうでしょう?
「この後どうなるのかな? #○○○」「誰がゲストなんだろ? #○○○」
なんてツイートは誰もやらないし、広がりもしない。


Twitterを利用してる人なんてまだごく一部に過ぎない。
だけど今の視聴者が同調を求めていることは、
タイムライン上で展開された無数の「おうちでパブリックビューイング」によって明らかになったはず。
それを捉えることができれば、放送はまだまだ面白くなってくれると僕は信じています。

*1:パブリックビューイング(Public Viewing)は、スポーツ競技において、スタジアムや街頭などにある大型の映像装置を利用して観戦を行うイベントのことである。(Wikipediaより抜粋)